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大学とはなんたるか

もう小樽商科大学生として三年を経たわけですが、ここで、「大学」という団体はなんのためにあるのかを、自分の演劇部としての意見も交えてツイッターで連続ツイートをしたものをここにも付記します。

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うちの劇団も、札幌のyhsやイナダ組のような一般劇団と同じ位にあるべきだ。大学生という名前を利用してレベルの低いことをしてはいけないと思う。社会人より大学生の方が演劇に費やす時間は多いはず。小樽の演劇といえば、商大演劇戦線と呼ばれるブランドの確立がなくてはいけないのではないか。

だが、反対の意見として「学生だから趣味より学業を優先して、向上を求めない」といったものもある。確かに一般劇団と同等の品質を提供するためには、金銭面、時間面での浪費は社会人のそれより大きい。身内で遊びながら楽しくやるのか、演劇というエンターテイメントを追求するか。

思うに、大学は学業を学ぶというより、人生の土台を形成することに重きが置かれるのではないか。本業と趣味の両立をいかにし、またはエンターテイメントのなんたるかを学び、または他人に自身の作品でお金を払わせるとは何かを知るという部分で、演劇部活動を本格化する要因は大きいのでは。

部活動の大きな障害に「アルバイトとの衝突」があるが、私はアルバイトの重要性に気づくことが出来ない。ある面での社会経験としての意義と、趣味や生活のための資金調達は重要事項ではあるが、それより、学生として自由に(そして低予算で)何かしら活動を行う方が大切ではないか。

部活動で得た利益を個人に還元出来ないというシステムもおかしく感じる。高校以前ならわかるが、大学の部活は、一つの社会的地位を確立した団体であるべきではないか。営利活動を目的として何が悪いのか。それこそ、学生が必要な社会経験ではないか。大学を高校までの延長にしてはいけない。

「大学の存在意義」とは、アルバイトをするためでも、ただ学業を行うためでも、飲み会で遊ぶためでもなく、社会人として生きるための最初の何歩かを手助けする場所であるべきではないのだろうか。ただの研究機関であるなら、そこに大学という文字を冠するべきではないと感じる。